\ナンコツテッタイ/

二次エロ小説書きぽんぬのブログ。サークル 「軟骨撤退」or「投擲クロワッサン」で活動中。

マッドマックスに新たな救済は別にないんじゃないですかねっていう話

噂のマッドマックスを見てきました。

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以下少なからずネタバレを含むので、構わない方のみ追記からどうぞ。無駄に長いので時間のあるときに。

まあ、あんまりネタバレされて困るような内容の映画でもなくて、基本的には車がズワーって走ってズギャーって横転して銃ズババババ! 火がブワー! 太鼓ドコドコ! ギターギュインギュイン! 車デュワー!! ズガガガガ!! ドンドコドンドコ!! ブワワワワ!! ドッカーン!!!! みたいな、闘争と破壊が持つエンターテイメント性がメインかなあとは思うのですが。そういう意味では4Dとやらで見てみたかったですね。

 

感想要約

  • いやこれ大団円みたいだけど、全然解決してないんじゃないの?
  • ギター野郎がかっこいい。というか、ウォーボーイズが「かわいい」。もっと言うと、悪役どもも根本的に「かわいい」。
  • フェミニズムやらジェンダー論やらの文脈で語りたくなる感じは分かったけど、この作品に沿って語ったところで希望のある結論が出る気はしないな。

1つずつ詳しい話をしていこうと思うんだけど、一応誤解を招かないように最初に言っておくと、めっちゃ面白かった。めっちゃ面白かったです。アドレナリン出っぱなし。この映画を見に来て車を運転して帰ると死ぬ、というのはよくわかった。死ぬわこれは。

 

ジョー亡き後の砦について

イモータン・ジョーは独裁者だ。彼の圧倒的なカリスマの元で、水とオイル、それから作物や母乳に至るまで、生存に必要な資源は全て管理されている。若い使い捨ての戦士たちによる狂信的な軍隊(ウォーボーイズ)も所有している。要するにあのへんのシマは全部ジョーが仕切っていて、誰も彼には逆らえないわけである

病気持ちでなんかヨタヨタしてるじいさん(とはいえ、寿命が短い世界観だから実年齢は結構若いのかも)がどうやってあそこまでの地位を築いたのか不思議だけど、多分頭がよかったんだろうな。限られた地下水を一人で管理しているってすごいことだ。

まあ、ジョーは全然いいやつではない。若く美しい女を攫ってきては子どもを産ませ、産ませたあとは機械につないで母乳を文字通り「搾取」していたりする。このへんの描写は映像的なグロさはそれほどでもないが結構えぐい。

しかし実際どうなんだろうね、ジョーが死んで、まあしばらくはフュリオサの女神的なカリスマ性でどうにかなったとして、その後あの砦に展望はあるんだろうか。あの機械やら農園やら、管理していた連中はみんな死ぬか閉め出されたわけで、あそこに残っているのはただでさえ寿命の短いウォーボーイズの子どもと、女と子供と病人だ。

いや、なんだかんだでなんとかなるのかもしれない。ただ、「なんとかする」ために、フュリオサはジョーと同じことをしなくちゃ結局立ち行かないんじゃないか? と思うんである。石油やらを手に入れるには、最初にフュリオサが命じられてたみたいな遠征に行かなくちゃいけない。そのためには武力が必要だし、あそこで戦えるのは結局ウォーボーイズだけだ。そして、ジョーから与えられていた宗教的熱狂が何かに代替されない限り、(年齢のことを差し引いたとしても)多分彼らはずっと弱くなっているだろうと思う。あと、ラストで惜しみなく水をばら撒いていたけど(異常にロスがデカいしとんでもない装置だあれは)、あんなことしてて枯渇したらえらいことである。ジョーだってそれを理解していたから出し惜しみしてたんだろう。

ジョーの支配のもと、妻たちは贅沢な暮らしをしていたらしい。戦士の筆頭だったらしいリクサス(ジョーの息子かな)も母乳やらガブガブ飲んでてムキムキの良い体格だったし、搾乳されてた女性たちもあれだけ太ってたってことはミルク生産のための栄養を与えられていたんだろう。何が言いたいかというとジョーは与える相手を「選別」していて(それこそが「管理」だ)、それが悲惨な格差を生じさせていたんだけど、あの何もかも足りない世界で彼らを生き延びさせていたことも事実だよなあ。

フュリオサは、ジョーのやり方を踏襲することなくどれだけ良い統治ができるんだろうか? 仲良しこよしでやっていけるような世界じゃないだろう、多分。女たちは性的搾取から解放されたという点で大きなものを勝ち得たかもしれないが、生命の危機は去らないわけで。

あ、でもここまで書いて気づいたんだけど、単純に人口(しかもよく食う成人男)が減ったから、その分回していくのが容易になったってのはあるかもね。つまりあの戦いは壮大な「口減らし」でもあったのかもしれない。合理的というか結果オーライというか。

 

かわいくてマッチョな男たちの消費*1

ここで話題は私の萌えポイントに移る。

そうして口減らしの憂き目にあった男たちなんだけど、素直な感想として彼らはみんなかわいい、と思った。かわいいというのは大抵上から目線で使われる言葉なのだが、いやその通りで、めっちゃ上から目線です。「お前らかわいいな(笑)よしよし(笑)」ってなもんである。

しかしこの「かわいい」っての、なかなか病根の深い感想だ。「男って馬鹿ね、でもそこが好き」みたいな。理性的な自分が、いやいや、やってることの凶悪さが「男って馬鹿ね」を超えてるでしょ、とツッコんでくる。しかもウォーボーイズがアホなのはだいたいそれを管理して戦士としての労働力を搾取しているジョーのせいである。かわいそうなやつらなのだ。

さらにさらに、ジョーやら人食い男爵やらのセンスも考えようによっては「お馬鹿でかわいい!」のだが(人食い男爵なんかあの世界でわざわざスーツ着込んでベンツに乗って、人食い男爵なんて異名で呼ばれて喜んでるんだから恐れ入るよね)、そういうセンスの連中がああして支配者としてのさばっていること自体相当悲劇的な話である。彼らはそういうイカレ野郎だったからこそあそこまで生きてこられたんだろう、多分。

こんなことを考えていると、彼らの異常性を強調するアホっぽさに「かわいさ」を見出すのは、紛れもなく悲劇をエンタメとして消費していることに他ならないんじゃないか? なんて思いが頭をもたげてくる。

まあ、映画なんか少なからずそういうもんだからそこに関しては別に構いやしないのかもしれない。ニュークスがスリットに「死ぬならデスロードで派手に死ぬ」って宣言して、喧嘩しそうになるけど最後は「流石お前だぜ相棒」みたいになるところは完全に萌えシーンだし、「俺を見ろ!」って言いながら自爆攻撃をしかけたウォーボーイに「よく死んだ!」って声をかけるシーンなんか激アツだ。そして火を噴くギター! こいつなんでギターで殴られてたのにギター取り返したらそれで殴り返すんじゃなくてまた弾き始めるんだ。根っからミュージシャンかよ。もう最高にお間抜けでかわいい。

彼らの行為を正当化はできない。できないが、ウォーボーイズの愚直な忠誠心は酷く原始的なレベルで私の好感を誘う。やる気があればなんでもできる! 自己犠牲かっこいい! 彼らは血と闘争に青春を捧げているのだ。尊い。スポ根やらアイドルもののアニメ見てるのと感覚としては同じである。「ブラック企業と同じやり甲斐搾取みたいなもんじゃないか」「結局生命を使い捨てられているだけだ」と頭では分かっているのだが。

搾取側として配置されているジョーや男爵(武器将軍は微妙)についても、彼らはウォーボーイズをアホだと思っているのだろうが、彼ら自身大概アホっぽく、そのサイコーにクールな無慈悲さがやっぱり好感を誘うのである。

このへんで、これ、おなじみのマッチョ信仰じゃない? と気づいた。私はポリティカルコレクトネスやらジェンダーフリーやらフェミニズムやらの話が大好きなんだけど、強くて粗野で単純で上下関係に厳しくて男同士の絆大好きな男たちに「男らしくて素敵!」という感想を抱くことを日々止められず、アアアア! 正義のために生きたい! と嘆いていて、今回もそのパターンだきっと。しかも「男らしい」彼らは「男らしく」悲劇的に散っていくのである。

一応改めて言っておくと、この映画全体はそれをどちらかというと否定的に描写していると思う。なのに当の視聴者である私があろうことか「か↓わ↑い→い→~」と楽しく消費しているわけだから始末に負えない。なんてこった。

 

フェミやらジェンダー議論の不毛さ

閑話休題

確かにこの物語は、その構図だけを追えば、男による暴力的な支配から脱した女達が、子どもや老人や病人といった社会的弱者とともに、他者を傷つけることのない生産によって成立するコミュニティを作って、新たな理想郷を築いていく、みたいな話だ。だからまあフェミニズムの文脈で読みたくなる気持ちは分からんでもないんだけど……

ジョーがいなくなった後の砦の運営の中心になるのは多分フュリオサだろう(瀕死だったからあの直後死んじゃう可能性もなくはないんだけど……そしたらどうなるのかな)。なんとなれば彼女はあの時点での砦における圧倒的な強者だからだ。他の戦士たちは残ってなくて非戦闘員ばっかりだし。彼女には力による支配が可能だ。そして、そうしない限り、あの烏合の衆が長く生き延びるのはキツそうだ。さっきも言ったけど、ジョーと違う方法で砦を運営していくのは困難だと思う。

唯一解放されたのはジョーの妻であった女たちで、それは喜ぶべきことだろう。大局を見たとして、ジョーだけが子どもを産む女性を独占してる状態は決して合理的ではなかっただろうしね。しかし、ジョーから解放されたところで、どっちにしたって子どもを作って産んでいかないと緩やかな滅亡に向かうのは明白だ。相手を選ぶという主体性を獲得したのはいいんだけれど、多分彼女たちに近代的「産まない自由」を与えることは滅びに直結する。

自由なら滅んでもいい、のかもしれない。それこそが自由自律の尊さの証明なのかもしれない。しかしそれは恐ろしく暢気な話だ、という思いも拭えない。

あくまで我々は平和な現実からフィクションとしてあの映画を見ているわけで、だからあの状況の切羽詰まってる感じを実感として理解するなんてことは不可能なんだけど……やっぱりあの世界におけるあのオチが長期的な救いになっているとはあんまり思えないのだ。ジョーは色々間違っていたが、女たちがその間違いを犯さないという保証はどこにもない。これは無根拠な性悪説のつもりはなくて、そもそも物資が乏しいという状況は、どう足掻いたところで選別にまつわる問題を引き起こすだろうという予測である。完璧で間違いのない選別を人間の手で為すことなんてできるんだろうか。

ごちゃごちゃ書いたんだけど要するに、あれが女性の解放の物語だとすれば、極限状態においてそれを実行することは、女尊男卑への逆転(男たちの「口減らし」みたいな)か、もしくは緩やかな破滅のいずれかしか導かないって結論になっちゃわないか? みたいなことが言いたいんです。

だいたい正義を論じられるのは今物質的な資源が足りているからであって、それが失われた世界において、抑圧からの解放・自由・そして平等と正義の物語を寓話的に読み解いたところで何か得られるもんだろうか。「今の世の中は男女平等を謳えるくらい平和でよかったね」ぐらいしか言うことがないんじゃない? 私はジェンダー役割による拘束はなくすべきだと思ってるけど、それは科学技術の発達した現代社会じゃジェンダー役割なんかそれほど必然性が高いもんじゃなくなってきてるからこそだろう。あんな世紀末に同じこと言われたって挨拶に困る。

そういう御託を並べて絶望的な気分になるより、マックスもフュリオサも妻たちもウォーボーイズも、もちろんジョーも、自分たちのやりたいことをやりたいようにやっていただけで、マックスはなんかかわいそうな扱いを受けてた女たちを身を挺して助けて、悪人ジジイのジョーは死んでよかったね、と頭空っぽにして見ないとどうにもなんないんじゃないかと思う。

 

まとめ

「この映画を見て、自分は何を思うのか」を見つめ返すと絶望しかない。もういいじゃないか。ギター超かっこよかった。おばあちゃんたちイカしすぎてた。私も荒野をメルセデスのおベンツ様で爆走してみたい。砂嵐の迫力がヤバい。4Dで見たかった。みなさんも劇場に見に行ってください。ドコドコドコドコ!! ギュインギュイン!! を楽しんできてください。

ジェンダーについて語るなら他の場があるはずだ。あるいはメタ的な視点でベクデルテストとかの話をするっていう手はあるが……あ、マックスとフュリオサがくっつかなかったのはいいよね。それは本当によかった。それくらいかな。ストーリーに深く踏み込んでも不毛の大地しかない気がする。そういう映画じゃないんだと思おう。マックスが立ち去る必然性も別になかったと思うけど、「マックスの冒険はまだまだ続く!」って終わり方なのだ。ヒーロー譚はあれでいいのだ。

一緒に見に行ったぽんかれさん*2は「オープンワールドRPGの1クエストって感じ」と評していて、なるほどねって感じでした。

 

おわり。

*1:このタームを軽率に使うのは唾棄すべき態度なのかもしれないが、他に上手い表現が思いつかないので。

*2:ぽんぬの彼氏さんの略